
古くは、七栗上村(ななくりかみむら)と呼ばれていました。この一帯には『榊』が多く自生しており、その榊が神宮の祭祀に使われていたことから「榊が原」と呼ばれる様になり、地名が「榊原」になったと言われています。
また、戦国武将・仁木義長の五代後の利長がこの地に住み、榊原を名乗ったのが、榊原氏の起源とされています。ここ榊原温泉は、全国の榊原さんのふる里でもあります。

今からおよそ150 0〜 2000万年前、新生代第三紀層に起こった地殻変動により、地質の変化が出来ました。現在の貝石山のふもとに平行して存在している榊原断層が温泉湧出の断層であると考えられています。古代より人々は温かく感じられる不思議な水が地中より自然に湧き出ることに神の存在を見い出していました。神宮への参拝には欠かせない「湯ごり」の温泉ですから温泉の神(オオナムナノミコトとスクナヒコナノミコト)を祀る射山神社を作り大切にしてきました。後に延喜式神名帳に記録され、式内社となっております。

かの清少納言が「枕草子」で、『湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯』と讃えた榊原温泉は、「恋の湯治場」として、都で温泉の代名詞になっていた様で、『一志なる 七栗の湯も 君がため 恋しやまずと 聞けばものうし』『よの人の 恋の病の 薬とや 七栗の湯の わきかえるらん(未木集)』など、数多くの和歌が、鎌倉時代から室町時代にかけて詠まれ、特に恋の病を癒すいで湯として、多くの歌人に詠われました。今も、榊原温泉は疲れた心と身体を癒す温泉として多くの人に愛されています。

伊勢の神宮は2千年前に鎮座され、都から距離を置くために天皇に代わってその皇女が斎王となり、神宮を祀ってきました。天皇たりとも神宮への参拝には身を清めます。都から伊賀を抜け布引山(青山高原)を越え榊原が伊勢の入口で、ここに湧く温泉で「湯ごり」をして身を清める。これが当時の正式な参拝でした。
榊原温泉の名は、古くは地名を取って「ななくりの湯」と呼んでいましたが、地元では「宮の湯」と呼んで、この「宮の湯」で湯ごりをして神宮に向かったと伝えられています。

先の「宮の湯」に大きな変化があったのは天正16年(1588年)のことで、世の湯治場がブームになりだしたころです。榊原温泉にも、湯の神を祀る射山神社を一角に入れた、大きな湯治場が出来ました。神社境内から湧く「宮の湯」を使った湯治場は当時の図面を見ると10 0 から成る客室が並ぶ大規模なもので、射山神社も「温泉大明神」という名で明治の中頃まで続きました。
